ピーター・バラカンがスコセッシ監督のことをスコシーゼと呼んでるのを聞いて
「やっぱり外人は違う」
と思った皆さんこんばんは。
東武伊勢崎線の特徴とは、何だろう。
沿線に見慣れないチェーン店があるので列挙
珍来(ラーメン)、東京宝石(たぶん宝石)
それからタノー宝石(どんだけ宝石好き?)というのもあります。
今ネットでしらべるまで、『たのいち』と読むと思ってたけど『たのー』らしい。
チェーン店ではないけれど、栃木銀行とか、青木信用金庫とかも
私にとっては目新しいです。
あおしん、といえば私の地元では青梅信用金庫だったのですが、
こちらでは青木(どうやら川口あたりの地名らしい)信用金庫です。
これは混乱のもとでは?放置せずにはおれない、と思って、ウイキを見ました。
以下こぴぺ
あおしん(―)
あおもり信用金庫の略称。
青木信用金庫の略称。
青梅信用金庫の略称。
どうやら、放置されているようです。
ウィキの青木信用金庫の欄には、
青木信用金庫(あおきしんようきんこ)は、埼玉県川口市に本店を置く信用金庫。略称はあおしん。埼玉大学の指定金融機関である。
「あおしん」の略称を使用する青梅信用金庫も埼玉県内で店舗展開をしているので注意が必要である。
とある。
まだ、良心は残されていたようだ。
昔のスコセッシはすごかったなあ。
『タクシードライバー』で、ジョディー・フォスターが砂糖を
飲み物にドボドボドボーと入れるところなんて、
圧巻だわ。
相撲が終わりました。
「もう終わった存在」とまで言われた横綱の存在感が際立った場所だったのでは。
もしも、朝青龍がおとなしく引退していたら、
相撲人気の低下は一段と進んだことだろう。
言いたい放題言った人の責任というのはどうなるのか。
少なくとも横審をやめるとかそのくらいのことはしてほしい。
全員入れ替えとか、横審廃止とかでいいよ。
相撲の盛り上がりのうらで、こっそり親方は傷害致死の容疑で逮捕されてるし。
不祥事があったのでテレビ放送終了でOK?
最近のスコセッシにがっかりしているみなさんハロー
弁護士会の集まりでおじいさん弁護士二人の隣に座りました。
「ほれ、あのオウムのあれ、アサオカとか何とかいうのがいたじゃあない」
「あさはら?」
「それそれ。それの弁護人が、、、」
という感じでゆったりと会話がすすむ。
それから話題はおじいさん弁護士の一人が去年交通事故で瀕死の重傷を負ったことにおよび、
「こうしてまた酒が飲めるなんて夢のようだ」
とのこと。
このような立派な先輩方が安心して引退できるように、もう少しくらいは弁護士を増やしてもよいのでは、と少し思った。
最近レギュラー(あるある探検隊)を見なくて寂しいみなさんこんにちは。
製紙業界が再生紙の使用割合について偽装をしていたとのこと。
このニュースを聞いて単純に「またかあー」と思えないのは、
世代のせいだろうか。
もし、祖母に聞いたら
「新しかもんば売って、何の悪いとやろ」
と言うことが想像される。
わたしの感想も少し似ている。
もしも、新品と再生紙と表示されている製品の二つがあって、
再生紙と表示している製品のほうが、価格が高いなどということがあれば事情は別だろうが、そういう事情もなしに、
なんとなく「再生紙をつかっています」
と表示することは、たしかに嘘かもしれないけれど、人を騙すというのとは少し違うのではないだろうか。
なんとなく、しょーもない駄菓子に「高級」と書いてあったりする無責任な見栄張りと、
大した違いはないように思う。
消費者も再生紙だからえらぶ、というより、再生紙と書いてあるから、
紙を無駄にすることがあっても罪の意識を感じないですむ、位の効能しか
ない気がする。
今回の再生紙騒動は
『熟女バー』にたまたま若い女の子が勤めているという状況に
どこか似てはいないだろうか。
ただの思いつきです。
私が子供の頃は、都会はもっと汚かった。
最近は、排気ガスのせいで子供の多くがぜんそくになっている、
なんていう話もあんまり聞かない。
昔は多摩川は洗剤で泡だっていたし、
千川上水もどぶ川みたいだったのが、今は普通の水路になって魚も居るし、
枚挙に暇がない。
こうなると、田舎住まいのメリットというのもあまりなく、
郊外の過疎化は加速する一方である。
住環境が充実していくのは、望ましいことではある。
目立たないだけで、本当はまだまだ汚い、ということがなければよいが。
同期会でとなりの席の外資系事務所に就職したひとの名刺入れがかっこよくて、
ついつい似ているものがほしくなってしまった皆さん、こんちは。
偶然にも、文房具屋さんで似ているのを見つけたので買ってしまった。
あとですねえ、今日は東京に行きました。
神保町で上條恒彦らしき人を見ました。
たぶん本物。そうでないなら凄いそっくりさん。
そして、蕎麦屋で蕎麦食って酒飲んで、
100円ショップに行って、糸を買ってきて、
コートのボタン付け。
だいたい一人で休日を過ごすときは、こんなものです。
東武伊勢崎線に慣れてきた皆さんこんばんわ
でも、ホームがさむくて死にそうです。
よのなか、エコロジーとかリサイクルとかの気運がたかまっています。
当たり前のこと過ぎて誰も言わないのでしょうが、
エコロジー実践と経済の振興は、ほとんどの場合相反します。
いくら新しい商品が効率がいいとか、燃費がいいといっても、
買い替えの社会コストのほうがどう見ても高くつく場合が多いでしょう。
いまの日本車なんて、走るか走らないかということでいえば、20年は持つでしょう。
修理するほうがめんどくさいとか、金がかかるとか、
ぼろい車に乗るのはイヤだとか、そういうことを我慢すれば、
古い車に乗り続けるほうが、環境負荷は小さいだろう。
それを多くの人がやれば、自動車産業はたまったものではない。
本当に環境のことを短期的な視点でなく考えるのであれば、
買い換えないですむもの、長持ちするものを作るような政策が必要だろう。
リユースリデュースリサイクル、というPRはしても
「モノを買い換えるんじゃねえ!!」
というPRをしないあたりに、環境政策の限界というか弱気さが感じられる。
http://www.j-cast.com/2008/01/11015522.html
金子達仁という人が「浦和のサポーターは応援をしているのではなく
応援歌を歌いに来ているだけだ」
と書いて物議をかもしているらしい。
これには少し共感するところもある
私はサッカーはぜんぜんわからないので、野球で置き換えて考えてみると、
同じように、「本当にわが国のファンは野球をわかっていないなあ」
と思うことがある。
常に同じテンションで応援する。応援しなくていいところでする。
(たとえばバントの構えしてたり、ピッチャーが打席のとき)
だから、本当にしていいところが盛り上がらない。
野球の応援とか、サッカーの応援を常に声を合わせてやるなんて、
なんか異常でしょ?
共産主義の国じゃないんだから、。
みんながバラバラにやる前提だからこそ、ココというところで、
いっせいに声を合わせて応援歌を歌ったりすることが
高揚感のある出来事たりうるのだということが、
どうしてわからないのだろう。
いっつも声を合わせて応援したい、という人は決して多数派ではないはずだ。
だが、声が(文字通り)大きいがゆえに、あたかもそれがスタヂアムの総意であるかのように
なってしまっている。
こういう点はサッカーも野球も共通なのだと思う。
野球とかサッカーは欧米のものなんだから、
欧米の応援スタイルがやっぱりその競技にあっているのが自然なわけで、
日本風が優れているということは、残念ながら、まずない。
弁護士という肩書きができると、否応なく「先生」と呼ばれるはめになる。
仕事をはじめて1週間の身としては、これがむずがゆいというか、違和感があるというか、
とにかく変な気分である。
かといって、「先生というのは止してくれませんか」
という度胸もなく、ズルズルと先生呼ばわりが続いていく。
実力もないのに、先生呼ばわりされるという事態で、
思い出すのが、黒澤明の『用心棒』である。
登場人物のなかに、用心棒として雇われているものの、
逃げてばかりいる侍がいる。
ひと悶着あるときに『せんせー、せんせー』と御声がかかると、
こっそり裏口からにげてしまうのだ。
『先生』と言われるたんびに、そのダメダメ用心棒と自分が重なってしまう。
ちうことで、ぜひ織田裕二大先生に、椿三十郎だけではなくて、
用心棒のリメイクも受け持っていただきたい。
だめな「先生」の役は、だれがいいかなあ、、、
高田純次とか、小日向文世が適役でせうか。
まあ、私に限って言えば
先生と呼ばれるほどのばかだもの、
という言葉がそのまま当てはまると言えなくもないので、
そんなに、気にすることもないのかも。