吾日三省 3 たった一人の反乱

本質は同じ

http://www.j-cast.com/2008/01/11015522.html

金子達仁という人が「浦和のサポーターは応援をしているのではなく
 応援歌を歌いに来ているだけだ」
と書いて物議をかもしているらしい。

これには少し共感するところもある

私はサッカーはぜんぜんわからないので、野球で置き換えて考えてみると、
同じように、「本当にわが国のファンは野球をわかっていないなあ」
と思うことがある。

常に同じテンションで応援する。応援しなくていいところでする。
(たとえばバントの構えしてたり、ピッチャーが打席のとき)
だから、本当にしていいところが盛り上がらない。

野球の応援とか、サッカーの応援を常に声を合わせてやるなんて、
なんか異常でしょ?

共産主義の国じゃないんだから、。

みんながバラバラにやる前提だからこそ、ココというところで、
いっせいに声を合わせて応援歌を歌ったりすることが
高揚感のある出来事たりうるのだということが、
どうしてわからないのだろう。

いっつも声を合わせて応援したい、という人は決して多数派ではないはずだ。
だが、声が(文字通り)大きいがゆえに、あたかもそれがスタヂアムの総意であるかのように
なってしまっている。
こういう点はサッカーも野球も共通なのだと思う。

野球とかサッカーは欧米のものなんだから、
欧米の応援スタイルがやっぱりその競技にあっているのが自然なわけで、
日本風が優れているということは、残念ながら、まずない。

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